【留学】「人生立て直し留学」―苦労の末に見つけた「地図」

f:id:komabagrassroots:20181014123015p:plain 「『人生立て直し留学』でした」―昨年秋から約1年間、イギリスのエクセター大学に留学した金山紅香さん教養学部4年)は筆者の取材に対して、こう切り出した。

 2015年に現役で東京大学に入学、進学振り分けでは難関である「教養学部超域文化学科表象文化論コース」に進学するという、順風満帆にも見える金山さんの「人生」は、どのようなものだったのだろうか。そして、留学を機にいかにして人生を「立て直し」たのか。

インタビュー・文 仲井成志(教養学部4年)

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エクセター大学のキャンパスは、英国式庭園さながらの美しさだ(金山さん提供)

 

将来への不安

 留学前、日本社会に息苦しさを感じていた金山さん。日本の教育システムのもとでは、小学校入学から大学卒業まで、同年度生まれの子どもたちが一段ずつ、横並びで学年を重ねていくのが通例だ。その弊害だろうか、金山さんは高校生時代から、自分を周りの学生と比較してしまう癖が付いてしまった。「どうしても自己肯定感が持てなかった」と金山さん。その結果、「(周りに)置いていかれてしまうのではないかと、将来への不安を抱くようになった」。

 東大に入学し、後期課程に進んでも、「先行きが見えない」という漠然とした焦りが消えることはなかった。後期教養学部では表象文化論を専攻したものの、幅広いテーマを扱う学問領域ということもあり、「興味が拡散して、(全体像が)何だか分からず五里霧中だった」という。

 そんな状態で迎えた海外留学。卒業が1年遅れるため、小学校から着々と歩んできた「コース」からは外れるが、「日本以外の社会・文化を知ることで、かえって日本についての理解が深まるのでは」と期待しての渡航だった。

 

「比較」なんて

 留学を振り返って、金山さんは「期待していた以上のものが得られた」と笑顔を見せた。異国の地で、「得意ではなかった」という英語を用いて生活しているうちに、少しずつ周りとの比較をやめるようになった。後天的に英語を勉強した自分とネイティブスピーカーとを比較をしたところで意味がなく、他の英語学習者にしても「色んな段階の人がいて、しかもそれぞれの人にそれぞれの条件がある」ことに気付かされたという。

 「比較」をやめた金山さんは留学中、授業に加えてフォークダンスサークルや、現地の学生に日本語を教えるボランティアを行うなど、様々な活動に積極的に参加した。

 「留学前、輝いて見えた優秀な人が言っていた『人と比べても意味ないよ』とか『良いか悪いかは自分の基準次第』という言葉には全然ピンとこなかったけど、留学が終わった今、自分がいま考えていることを言語化すると、それらのフレーズに集約される」。

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フォークダンスサークルのイベントにて(金山さん提供)

 

踏み出せた「一歩」

 1年間の留学を終えた今、成長を実感しているか尋ねたところ、金山さんは「留学中は目標が高く、それに次から次へとハードルが来るから実感はできなかったけど、(留学が)終わってから、モヤモヤと感じていた成長が確信に変わった」と語った。東大に留学してきた学生を案内するボランティアや、英語力が求められるインターンシップなど、留学前は敬遠していたであろう活動にも、意欲的に参加するようになった。英語を使うことに対する抵抗が薄れ、「色んなところに行ける『足』ができた」という。

 先行きが見えず不安だったという人生にも、ある程度の指針を見出せるようになった。当然迷いはつきものだが、周囲との比較をやめて自分自身を見つめなおすことで「自分が何に迷っているのか、地図的に分かるようになった気がする」。

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 イースター休暇中、スウェーデンに旅行した時の一枚。「この旅行を経て心が結構整理された」と振り返る(金山さん提供)

留学に意味はあるか?

  最後に「この留学に意味があったのかとよく聞かれるし、自問もする」と前置きしたうえで、金山さんは語気を強めてこう語った。「意味はあとから作るもの。留学後の自分次第で、その留学に意味を見出すことはできる」。

 周りとの比較をしてばかりで、自分に自信が持てなかった留学前。それでも留学を経て「自分の足で立っている感覚がついた」という金山さんだからこそ、「自分次第」という言葉には重みがある。

 「留学したところで、意味があるのだろうか」と考える高校生・大学生も多いだろう。しかし、留学中に何があるのか、そして何が人生を変えることになるのかは、誰にも分からない。金山さんが言うように、「意味はあとから作るもの」なのだ。

【留学】「壁」の向こう側に―フィリピンで学んだ「幸せ」

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 唐突だが、私たちにとっての「幸せ」とは何だろうか。お金をたくさん持っていること、美味しい食べ物を日常的に食べられること、夜になればふかふかのベッドでぐっすりと眠れること。しかし果たして、それらは「幸せ」の必要条件なのだろうか―フィリピン大学ディレマン校に1年間留学した渡部直史さん(教養学部4年)は現地の人々との交流を通して、私たち日本人の常識とは異なる「幸せ」を見つけた。

インタビュー・文 仲井成志(教養学部4年)

 

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ボートは日常的な移動手段だ(渡部さん提供)

運命的な出会い

 「駒場で4年間、同じことを繰り返していても…」と語る渡部さん。「変化がない」毎日に、少しずつ息苦しさを感じるようになった。そこで選択肢に挙がったのが海外留学。応募締め切りが迫っていたため、語学要件として課されるTOEFLを「保険の意味もあって2週間連続で受けた」と笑う。

 行き当たりばったりと思いきや、留学の動機はそれだけではない。実は渡部さん、大学1年生の時に約1か月の語学留学を経験している。「最初はトルコに行こうと思っていたけど、テロの危険があったからやめた」結果、なんとなく選んだのは、フィリピン。この選択が、渡部さんの未来を大きく左右することとなった。

 

この人たちのためなら

 フィリピンでの生活で「見ざるを得なかった」ものがあった。貧富の格差だ。「(高校時代に学んだ)知識と現実が繋がる部分もあったが、ギャップも大きかった」と渡部さん。リゾート地の巨大ショッピングモールから一歩離れると、路上生活者で溢れかえるスラムがあったという。そんな時、旅行中にたまたま貧困世帯出身の2人の女性に出会い意気投合、フィリピンが抱える課題を聞くうちに「この人たちのためなら頑張れる、一緒に何かできれば」と思い始めた。

 交換留学先を決めるにあたり、開発経済学が盛んなイギリスやオーストラリアも候補にあったという。しかし、エリートたちが紙の上で理論を導き出すことに違和感を覚え、むしろ「現地に赴き、地域に合った細かいニーズを満たすようなことがしたい」と、フィリピンを選択した。

 

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この地域の住民は、行政主導の開発プロジェクトによって退去を迫られている=ブラカン州のとある村にて(渡部さん提供)

挫折の末に見つけた「幸せ」

 しかし、一筋縄にはいかなかった。「想像よりも、地域政策に関わることが難しいと感じた」と渡部さん。フィリピンの貧しい地域を訪問する現地調査を続けるうちに「言語の壁を感じてしまった」という。フィリピンには少なく見積もっても80以上の地域語がある。英語が話せるのはエリート層に限られ、学習していたというタガログ語が話せたところで、タガログ語圏以外では通用しない。慣れないうちはフィリピン人学生に翻訳をお願いしていたという渡部さん。時には「自分は本当に役に立てているのだろうか」と自問することもあった。

 それでも、対話を重ね、時には子供たちと仲良く戯れるうちに確信に変わったことがある。日本人の感覚からすると貧しいと思われるフィリピンには「明るい人が多く、間違いなく彼らは彼らなりに幸せ」ということだ。「日本人の感覚で『貧しい』・『可哀想』と考えてはいけないし、上から『開発してあげる』と考えるのは間違っている」。

 

自分なりの生き方を求めて

 フィリピンの人々と接するうちに、自分の生き方をも見つめなおすようになった。「東大にいると省庁や業界大手に就職することが『すごい』と思われる風潮がある」と前置きしたうえで、留学前は「周りの期待もあって焦らされていた」という。しかし留学を経て、そんなに生き急ぐ必要もないと思い、心に余裕ができるようになった。

 フィリピンで接した多くの人々と同じように、「その人にはその人のやりたいことがあるし、その人の幸せもある。日本人が気にしがちな『収入』が周りより少ないからといって、別に気にしなくてもいい」。

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フィリピン大学のすぐそばにあるスラム街では、子供たちが楽しそうに駆け回っている。背後には高層ビルが立ち並び、ここにも開発の波が押し寄せる(渡部さん提供)

 

(インタビューは2018年10月1日に実施)

【留学】振り払った「東大生像」―ホンモノの異質に触れて

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 「今はあるがままの自分を出せるようになった」―留学前後の心境の変化についてこう語るのは、昨年秋からダラム大学(イギリス)に1年間留学した小田碩規さん(文学部社会学科4年)だ。「あるがままの自分」を人に見せることがなかったという留学前。異国の地での生活を経て、小田さんの人生観はどのように変化したのだろうか。

インタビュー・文 仲井成志(教養学部4年)

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イギリスと言えば、赤い電話ボックスだ=エディンバラ城をバックに(小田さん提供)

 

部活をやめないと… 

 小田さんをイギリスにいざなったものを辿っていくと、小学生時代の読書体験にまで遡る。「先生に取り上げられるまで読み漁っていた」と懐かしむのは『ハリー・ポッター』だ。小学校5、6年生の約2年間で、邦訳全巻を3回も読み返したほどの熱中ぶりだったという小田さんに、舞台・イギリスへの憧れが芽生えたとしても何ら不思議ではない。「その時点で、ずっとイギリスに行ってみたいと思うようになった」。

 大学では陸上部に入部し、親友もできたという。しかし、留学を決心していたという小田さんは、思わぬ壁にぶつかることになる。留学体験談を聞きにいったとき、「これはマズいぞ、と思った」と小田さん。「経験者が口をそろえて、『語学面でもっと準備をしておけばよかった』と言っていた」。大学生活で1回きりの留学を無駄にはしたくない。その一心で、ある決断をする――慣れ親しんだ陸上部からの退部だ。「(退部を友人に伝えたら)嫌われるかもしれないと思っていた」と小田さん。しかし、友人はショックを受けてはいたが、留学を全面的に後押ししてくれた。「自分勝手なのに応援してくれて、感謝してもしきれない」。

 

「イギリス人にはなれない」 

 陸上部をやめた小田さんは交換留学に備え、パリ政治学院での1か月の留学、さらに東大のGLP(グローバルリーダー教育プログラム)への参加など、英語を用いた活動に精力的に参加した。

 準備の甲斐あって、「語学面での不安はなかった」という小田さん。しかし留学当初は寮生活になじめず、苦労したという。「(現地の)学生たちのノリが分からず、自分はイギリス人にはなれないと感じてしまった」。それでも交流を深めて理解しようと、食堂で食事している学生に積極的に話しかけるうちに、抵抗感も薄れていったと語る。寮主催のクリスマスパーティでは、一緒に食事していた学生たちと意気投合した結果、「人狼ソサエティ(サークル)を作っちゃった」と笑顔で振り返る。

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背後のダラム大聖堂は、映画「ハリー・ポッター」のロケ地にもなった歴史ある建物だ(小田さん提供)

 

「東大生像」を投げ捨てて 

 留学先では、大学でも専攻する社会学を勉強した小田さん。しかし、異国の地での学習はやはり、日本にいた頃のように一筋縄にはいかなかった。課題文献が多かったことに加え、「エッセイの書き方が難しくて、なかなか成績が伸びなかった」と振り返る。

 それでも、イギリス人の学生4人に囲まれながら取り組んだリサーチプロジェクトなどへの参加を通じて、ある確かな変化が訪れた。留学前は「挫折や失敗をかくすことで、気付いたら周りが求める『東大生像』に合わせてしまっていた」という。しかし留学先は「失敗して当たり前の世界」。見栄や外聞を気にせずのびのびと生活できている自分を見つけた。帰国してから参加したというインターンシップでも、知ったかぶりをするのではなく、周りの学生にすすんで教えを乞うようになった。今では「エリートをとりつくろうのではなく、あるがままの自分を出せるようになった」。

 

ホンモノの「異質」 

 小田さんは留学前の生活を、「周りに同調してしまっていた」と振り返る。留学しなくとも日本でできることはたくさんあると断りつつ、「日本での異質な経験は、『日本』というフィルターがかかっている」と指摘する。「日本に生まれた以上、日本でホンモノの異質は体験できない。同質性のフィルターを通さない場所に行くのは、いい経験になると思う」。

 終始、充実の表情で留学を振り返った小田さん。イギリス留学という小学生来の夢をかなえたばかりでなく、そこで得た確かな成長を武器に、今度は新たな夢へのステップを歩み始めた。

 

(インタビューは2018年10月5日に実施)

【書評】イイトコ取りの「新自由主義」はカッコ付き―『「新自由主義」の妖怪―資本主義史論の試み』(稲葉振一郎著)

「新自由主義」の妖怪――資本主義史論の試み

「新自由主義」の妖怪――資本主義史論の試み

 

 

評価

★★★★☆

 「新自由主義」を解説するというより、副題にある通り本書は「資本主義史論」である。読後に判明したが、「本書はウェブマガジン「あき地」の連載を大幅に加筆・修正したもの」らしい。なるほど、断片的には興味深い指摘がたくさんあるが、ひとつの視点から体系的に議論しているわけではない。したがって一気に読破してしまえるものの、読後感は「結局、何が言いたかったんだろう?」となってしまった。良くも悪くも「試み」なのだろう。

解釈・感想

「資本主義史論」としての明快さ

  第二次大戦後の資本主義史論として眺めるとき、本書は最も輝きを放つ。というのも、単に「東西冷戦」あるいは「米ソのイデオロギー対立」で片づけられてしまいがちな冷戦期について、資本主義を軸に東西それぞれの思想的バックグラウンドを構図化しているからだ。簡単にいえば、その対立図式はこうなる。(ただし、上述したように本書は断片的に様々な情報が織り込まれていて少々錯綜しているので、以下に示す図式はあくまで私の解釈にすぎない可能性は大きい)

 1970年代までの時期は、福祉国家思想VSマルクス主義的計画経済が顕著だった。しかしもう一つ、重要な対立図式があった。それが福祉国家思想VS新自由主義だ。マルクス主義福祉国家を「資本主義の矛盾の先送りにすぎない」として「国家独占資本主義」だと批判したのに対し、新自由主義福祉国家を「社会主義への滑りやすい坂」だとして批判する。というのも福祉国家とは政府の財政支出によって失業率・経済成長率を調整するマクロ政策に依存しており、「市場経済と計画経済の中庸、ベストミックスだ」と考えられていたからである。図式化すると、マルクス主義VS福祉国家思想VS新自由主義となる。

 1970年代以降、オイルショックに端を発するスタグフレーションによる「福祉国家の危機」の時代が訪れた。これによって福祉国家思想が退場、さらにはソ連の崩壊によってマルクス主義が退場(資本主義を批判する理論としては残存したが、実践的理論としては退場)した。簡単に言えば、そこで生まれた間隙を埋めたのが新自由主義である、と単純明快な説明が可能になる。

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本書を参考に作成

新自由主義」はカッコ付き

 ここでひとつ大切なことを付言しておかないと、大変な誤解を招くことになる。というのも、著者が本書において、上のような対立図式とともに最も強調しているのは、「新自由主義は理論でもイデオロギーでもなく、せいぜい「気分」程度のものだ」ということだ。どういうことかというと、社会主義体制が次々に崩壊し、マルクス主義という体系的イデオロギーが現実味を失うと、資本主義は「反共防波堤」としての対抗イデオロギーを必要としなくなるため、間隙を突いた「新自由主義」にはイデオロギーがない、ということになる。つまり古典派経済学的な市場経済重視の経済理論・政策をざっくりと「新自由主義」と言っているにすぎない、ということだ。確かに、著者が前半部分で論証しているように、「新自由主義」の盟主とされている経済学者(フリードマンハイエク)にはかなりのブレがあり、「主義」とされるほどのまとまりは無い。

雑感―「新自由主義」VS「マルクス主義者」?

 そういえば最近、ヨーロッパではここ10年間ほど続いている緊縮政策に反対する社会民主主義が盛り上がりを見せていた。フランスではメランションという政治家が大統領選で善戦、イギリスではコービンという労働党党首が若者を中心にかなりの人気を集めている。彼らが口々に言っているのは「新自由主義はもうたくさんだ」である。ちなみにメディアでは彼らを「マルクス主義者」と表現することが多い。そこで本書から以下を引用しよう。

現代の一部のマルクス主義者は、ともすれば「新自由主義」を思想的な敵手として、現代の資本主義を正当化するイデオロギーとして捉えがちですが、それはわかりやすい敵を求める願望思考ではないかと私は疑っています。(p.301)

確かにメランションやコービンは「新自由主義」に悪のレッテルを張り付けて攻撃している。しかし一方で、メディアや著者も(?)、彼らに「マルクス主義者」というレッテルを貼っているのだから、結局どっちもどっちではないか・・・なんて思ったり。

 

 

【コラム】台風の「陰」で

 昨晩は台風に眠りを妨げられた人も多いのではないか。窓は終始ガタガタ鳴っているし、外では時折すさまじい破裂音が聞こえたりして、ちょっと怖かった。まあこの様子だと明日の講義は休講になるな、と思いやっとのこと眠りについたわけだが、今朝眼を覚ましてびっくりした。窓からは気持ちのよすぎるほどの朝陽がさしこみ、身体全体にうっすらと汗もかいている。外も暑そうだ。フェーン現象というやつか。

 これじゃ講義も通常通りか、と意気消沈。急ぎ準備をすませて家を出た。しかしここでまた急展開。歩きながらスマホを取り出してツイッターを開いてみると、学生がみんな「運休」とか「遅延」とかつぶやいている。中には「休講」なんて福音も。これは、とよこしまな期待を胸に教養学部のホームページを覗いてみると、案の定、「【重要】台風24号に伴う休講措置等について」という大仰な記事が掲示板にアップされているではないか。

本日午前の授業は休講いたします。

なんだ、午前だけか。というのも、井の頭線が運休していたのは確かだが、午前のうちには復旧するからだそう。

 授業は午後からだけど、一度外出してしまったのに引き返すのはなんだか悔しい。せっかくだから駒場に足を運んで、台風の爪痕でも見に行こうかと思い立った。

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写真=1号館の北から正門に向かって撮影、木が倒れ立ち入りが禁止されている

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写真=掃除が大変そうだ

 思っていたよりも被害は大きかったようだ。そこら中に木の枝葉が散乱しているし、倒木まであった。これじゃあ掃除も大変だろう。本郷キャンパスでは銀杏並木に銀杏の実が散乱して、ネット上では「銀杏爆弾だ」なんて表現もされていたが、駒場は早くに「処理」が済んでいたようで、学生への実害はなさそうだ。

 それにしても、平日の通常授業日にこれだけ静かな駒場は、かつてなかったかもしれない。それも学期の始めなのに。学年を重ねるにつれて、特に後期教養学部生は「居場所がない」と嘆くことが多い。どうも1、2年生の活気に圧倒されてしまい、食堂はおろか、図書館さえはばかることもある。

 台風のおかげで(?)、久しぶりに駒場でゆったりとした時間を過ごすことができた。

 

仲井成志(教養学部・4年)

 

 

 

【コラム】きんもくせい

 この前の朝、目覚ましアラームを消してからしばらく、寝ぼけながらも身体全体を首元まで毛布でおおって、無為にごろごろとしていた。アラームが再びリンリンと鳴り始めてようやく、急ぎ学校へ行く準備をしなければならないことに気付いた。かぶっていた毛布をいやいやながらはねのける。その時、ふと思った。あ、毛布に愛着が湧く季節だ・・・

 記録的な猛暑はどこへやら、最近めっきり冷え込んだ。1週間前とくらべて生活もガラッと変わってしまった。夏のあいだ愛用していた部屋着の短パンをしまい、長ジャージを引っ張りだしてきた。外出用の服装もすっかり秋冬仕様だ。朝ごはんのおともにはフルーツジュースではなく温かい紅茶をいただく。お風呂の温度を2度も上げた。外を歩くときは手をポケットにしまい込むし、マクドナルドのアイスコーヒーは氷を抜いてもらう。これ、「アイス」コーヒーじゃないな、なんて思いつつ、なんだか秋を通り越して冬になってしまったような気がして、少し寂しくなる。

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写真=窓が結露していたから、「書初め」してみた。

 しかし、駒場キャンパスで「秋」を感じる瞬間があって、ホッとした。1号館を左手に、授業がある8号館に向かって歩いていた時のことだ。雨のしずくの間を縫ってそよそよと風が吹いたと思ったら、それに乗って甘い香りがふわっと漂ってきた。きんもくせい。ふと周りを見渡してその「正体」を探し出そうとするが、見つからない。それもそうだ、きんもくせいは奥ゆかしい存在。ずかずかと人の前に出てくるものではない。

 そういえば、三島由紀夫がきんもくせいについて、印象的なことを書いていた。夕闇にうっすらと浮かぶ美しい女性の顔を、そのうっとりとするような香りにたとえている。

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それ〔女性の顔〕は夜の小径をゆくときに、花を見るより前に聞く木犀の香りのようなものである。(『奔馬』216-217項)

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さすが三島といったところか。感服だ。ちなみに、小説内でこの女性を「見た」のは勲という青年だ。このあと、こう続く。

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勲はそういうものをこそ、一瞬でも永くとどめておきたい心地がしている。そのときこそ、女は女であり、名づけられた或る人ではないからだ。〔中略〕存在よりもさきに精髄が、現実よりもさきに夢幻が、現前よりも予兆が、はっきりと、より強い本質を匂わせて、現われ漂っているような状態、それこそは女だった。(同217項)

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 古語の時代から「おくゆかし」さを重んじる日本人だからこそ、きんもくせいにも、より魅せられるのだろうか。授業に遅れてはいけないと早足で歩きながら、駒場のきんもくせいの香り感じて、そんなことを思っていた。

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写真=101号館(なんて聞いたこともない人が多いのではないだろうか。1号館とコミプラの間にある建物だ)前に咲くきんもくせい。

 ちなみにどうして「きんもくせい」とひらがなで綴っているのかというと、完全に筆者の好みである。金木犀だと固いし、キンモクセイだと型張りすぎていて、せっかくの奥ゆかしさが台無しだ。やはり「きんもくせい」が一番しっくりくる。

(仲井成志・教養学部4年)

 

 

 

 

 

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