【留学】「壁」の向こう側に―フィリピンで学んだ「幸せ」

f:id:komabagrassroots:20181014123015p:plain

 唐突だが、私たちにとっての「幸せ」とは何だろうか。お金をたくさん持っていること、美味しい食べ物を日常的に食べられること、夜になればふかふかのベッドでぐっすりと眠れること。しかし果たして、それらは「幸せ」の必要条件なのだろうか―フィリピン大学ディレマン校に1年間留学した渡部直史さん(教養学部4年)は現地の人々との交流を通して、私たち日本人の常識とは異なる「幸せ」を見つけた。

インタビュー・文 仲井成志(教養学部4年)

 

f:id:komabagrassroots:20181013155231j:plain

ボートは日常的な移動手段だ(渡部さん提供)

運命的な出会い

 「駒場で4年間、同じことを繰り返していても…」と語る渡部さん。「変化がない」毎日に、少しずつ息苦しさを感じるようになった。そこで選択肢に挙がったのが海外留学。応募締め切りが迫っていたため、語学要件として課されるTOEFLを「保険の意味もあって2週間連続で受けた」と笑う。

 行き当たりばったりと思いきや、留学の動機はそれだけではない。実は渡部さん、大学1年生の時に約1か月の語学留学を経験している。「最初はトルコに行こうと思っていたけど、テロの危険があったからやめた」結果、なんとなく選んだのは、フィリピン。この選択が、渡部さんの未来を大きく左右することとなった。

 

この人たちのためなら

 フィリピンでの生活で「見ざるを得なかった」ものがあった。貧富の格差だ。「(高校時代に学んだ)知識と現実が繋がる部分もあったが、ギャップも大きかった」と渡部さん。リゾート地の巨大ショッピングモールから一歩離れると、路上生活者で溢れかえるスラムがあったという。そんな時、旅行中にたまたま貧困世帯出身の2人の女性に出会い意気投合、フィリピンが抱える課題を聞くうちに「この人たちのためなら頑張れる、一緒に何かできれば」と思い始めた。

 交換留学先を決めるにあたり、開発経済学が盛んなイギリスやオーストラリアも候補にあったという。しかし、エリートたちが紙の上で理論を導き出すことに違和感を覚え、むしろ「現地に赴き、地域に合った細かいニーズを満たすようなことがしたい」と、フィリピンを選択した。

 

f:id:komabagrassroots:20181013155603j:plain

この地域の住民は、行政主導の開発プロジェクトによって退去を迫られている=ブラカン州のとある村にて(渡部さん提供)

挫折の末に見つけた「幸せ」

 しかし、一筋縄にはいかなかった。「想像よりも、地域政策に関わることが難しいと感じた」と渡部さん。フィリピンの貧しい地域を訪問する現地調査を続けるうちに「言語の壁を感じてしまった」という。フィリピンには少なく見積もっても80以上の地域語がある。英語が話せるのはエリート層に限られ、学習していたというタガログ語が話せたところで、タガログ語圏以外では通用しない。慣れないうちはフィリピン人学生に翻訳をお願いしていたという渡部さん。時には「自分は本当に役に立てているのだろうか」と自問することもあった。

 それでも、対話を重ね、時には子供たちと仲良く戯れるうちに確信に変わったことがある。日本人の感覚からすると貧しいと思われるフィリピンには「明るい人が多く、間違いなく彼らは彼らなりに幸せ」ということだ。「日本人の感覚で『貧しい』・『可哀想』と考えてはいけないし、上から『開発してあげる』と考えるのは間違っている」。

 

自分なりの生き方を求めて

 フィリピンの人々と接するうちに、自分の生き方をも見つめなおすようになった。「東大にいると省庁や業界大手に就職することが『すごい』と思われる風潮がある」と前置きしたうえで、留学前は「周りの期待もあって焦らされていた」という。しかし留学を経て、そんなに生き急ぐ必要もないと思い、心に余裕ができるようになった。

 フィリピンで接した多くの人々と同じように、「その人にはその人のやりたいことがあるし、その人の幸せもある。日本人が気にしがちな『収入』が周りより少ないからといって、別に気にしなくてもいい」。

f:id:komabagrassroots:20181013155509j:plain

フィリピン大学のすぐそばにあるスラム街では、子供たちが楽しそうに駆け回っている。背後には高層ビルが立ち並び、ここにも開発の波が押し寄せる(渡部さん提供)

 

(インタビューは2018年10月1日に実施)