【コラム】「ポッキーの日」―日本にポピーは咲かない?

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仲井成志(教養学部4年)

 国民的行事

11月11日といえば、何を思い浮かべるだろうか。おそらくほとんどの日本人は「ポッキーの日」と答えるだろう。

平成11年に江崎グリコが始めたキャンペーン「ポッキーの日」。今年は記念すべき20回目ということもあってか、いつも以上の盛り上がりを見せているように見受けられる。ためしにツイッターを覗いてみると、ポッキーの公式アカウントから11日0時のツイートを皮切りに、深夜早朝関係なく、おびただしい数のつぶやきが発せられている。もはや「つぶやき」どころではなく「大絶叫」だ。

もちろんハッシュタグ(#ポッキーの日)も存在しており、午後17時の時点では「おすすめトレンド」で堂々の第3位に鎮座している。

ポッキーの日に便乗してか、タカラトミー楽天イーグルスのアカウントまでがポッキー関連のツイート。企業だけではない。個人でもポッキーのイラストをSNS上に投稿したり、ポッキーをおいしそうに頬張る画像をアップしたりと、思い思いの楽しみ方をしているようだ。

経済効果がいかほどなのかは正確なデータがないのでよく分からないが、1年間で最もポッキーを売り上げる1日であることは間違いないだろう。ここまでくると、国民的行事とも言えそうだ。

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東大駒場生協にもご覧の通り、入口付近に堂々とポッキーコーナーが鎮座(筆者撮影)

 「ポッキーの日?ふざけるな!」

そんな国民的行事、ポッキーの日。しかし、私は手放しでその「記念日」を祝うことができない。なぜなら、こんな記憶がよみがえってくるからだ。

高校1年の11月11日、教室内では皆が皆、ポッキーを配り合っていた。和気あいあいと語り合いながら、空きっ腹に延々とポッキーを放り込む。高校生らしくかわいらしい、どこにでもありそうな日常の一コマ。

しかし、世界史の授業中に雰囲気が一変することになる。それは先生の、こんな一言から始まった。

「さあて、今日は何の日だ?」

みんなシャイだから答えようとしない。しかし教室内の誰もが、頭の中では例のアレを思い浮かべていたはずだ。なんといっても、口の中には甘いチョコレートの風味がまだ残っている。先生は眉間にしわを寄せて、明らかに不機嫌そうだ。理由は分からないが、これはまずい。防衛本能がはたらくのか、クラスメイトの視線がスーッと机に落ちていくのが分かった。

そのうち、前列にいた一人が指名されて、均衡を破らざるを得なくなった。小声で遠慮がちに、しかし背後からの圧倒的な支持を受けて、その生徒は絞り出すように答える。「ポッキーの日…」

先生は待ってましたとばかりに、怒鳴り声を上げた。

「なにがポッキーの日だ!ふざけるな!」

 

 日本にポピーは咲かない?

世界史の先生はなにも、本気で怒っていたわけではない。しかし、歴史を教える立場にあって、「ポッキーの日」に湧きたつ若者に少なからぬ違和感を覚えていたのだろう。なぜなら11月11日とは本来、第1次世界大戦の休戦協定が結ばれた、もうひとつの、そして歴史上大切な「記念日」だからだ。

当時の私はそれでも、やはりポッキーの甘い誘惑に負けていた。なぜなら1918年なんて相当昔の話だし、それに日本は直接ヨーロッパでの戦争に関わっていたわけではない。いわば、他人事だと思っていた。

それから5年。イギリスに留学した私は、とにかく驚いた。イギリスでは11月11日を「思い出す日(Remembrance day)」とし、国王や首相、著名人からメディアまで、第1次世界大戦の惨禍やもう一つの戦争、そして多くの血が流れた後でもたらされた平和をしみじみと「思い出す」。

そんな記念日を象徴するのが、ポピー(ひなげし)の花だ。ドイツ軍と連合国軍との間で激しい塹壕戦が繰り広げられたフランダースの野原に、真っ赤なポピーが咲きほこっているのを見て、心を打たれたカナダ人医師が詠んだ詩に由来する。

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フランダースの野に、ポピーの花々が揺れる

列をなして立ち並ぶ十字架の、その間に

(John McCrae "In Flanders Fields" より、翻訳して一部抜粋)

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10月末から記念日当日まで、老若男女を問わず誰もが、紙製のポピーのバッジを胸につける。戦没者を悼み、同時に平和の重みを共有する。

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紙製バッジ。新聞に写る人々の胸にも、同じバッジが付いている。(筆者撮影)

 

日本人にとってポピーは、ヨーロッパの大戦は、遠い世界の話だろうか?

第1次世界大戦のあとに平和を守ることが出来なかった反省と責任は、日本人とは無縁なのだろうか?

ポッキーの赤い包装に、フランダースの野に咲くポピーは連想されるだろうか?

11月11日は「ポッキーの日」だ。しかし同時に、第1次世界大戦の休戦記念日でもあることを忘れてはならない。さらにいえば、今年はちょうど100年記念日。私たち日本人も、ポッキーを食べながらでもいいから、過去を「思い出す」ことで人類の一員としての連帯を示したい。

そうすれば、あの世界史の先生のお怒りも、少しは鎮まるだろう。